マニフェスト
井波について
井波彫刻は、富山県南砺市発祥の、日本を代表する伝統工芸の一つです。100人以上のプロの彫刻家が住むこの町は、250年以上にわたり、絶え間ない師弟関係を通じてこの芸術形式を維持してきました。
起源と歴史
井波の歴史は、1390年、京都本願寺の別院である瑞泉寺が建立されたことに始まります。寺院の建設は熟練した大工を惹きつけ、井波は職人技の中心地として栄えました。1762年、瑞泉寺が火災で焼失し、京都から前川三四郎という彫刻家が復興の手助けのために招かれました。地元の寺院大工に技術を教えた後、井波は徐々に専門的な木彫の町へと進化し、独自のスタイルの基盤を確立しました。当時三四郎が寺院の門に彫った龍は、今日でも工芸の始まりの象徴として残っています。明治時代(20世紀初頭)、井波の職人たちは寺院装飾を超えて、伝統的な日本家屋で使われる欄間(彫刻された欄間パネル)の制作にも手を広げました。この革新により、井波の木彫は日常生活に持ち込まれ、驚くべき成長の時代へと導きました。戦後には300人以上の職人が活動し、井波は日本最大の木彫の中心地となりました。
技法と特徴
井波彫刻は、一枚の木材から彫り出すことを特徴としています。これは、連続した彫刻を通じて形を現す減算の芸術です。各作品は完全に手作業で実行されます。彫刻家は紙やすりを決して使用しません。すべての表面はノミだけで仕上げられ、卓越した精度と制御が求められます。一つの作品には200本以上の異なる形状とサイズのノミが使われることがあります。樟脳の木が主要な素材であり、その柔軟性と耐久性が評価されています。プロセスは詳細なスケッチ(下絵)から始まり、粗彫り、中彫り、そして最終仕上げと続きます。構成は枠組みと構造的につながっている必要があり、すべての線と曲線が調和とバランスに貢献します。
徒弟制度と伝承
井波の長寿の基盤は、最低5年間続く伝統的な徒弟制度にあります。弟子は工房の掃除と道具の手入れから始め、木を彫る前に何ヶ月もかけて手作業でノミを研ぐ方法を学びます。何年もの観察と実践を通じて、彼らは師匠のリズムと技術を内面化し、徐々に独立した作業へと進んでいきます。今日では、多くの弟子が師匠と同居することはなくなりましたが、原則は変わっていません。井波彫刻協同組合内で、職人たちは協力し、新世代を訓練し、修復や文化交流プロジェクトに参加しています。
現代の井波
建築様式の変化により、伝統的な欄間の国内需要は減少していますが、井波の職人たちは適応し続けています。多くの職人は現在、現代的なデザイン、家具、建築依頼に技術を応用しながら、名古屋城や首里城などの文化遺産の修復も行っています。ポイエーシスとの協力を通じて、井波の職人たちは世界中のクライアントのために新しいモチーフやシンボリズムへと作品を拡大しています。彼らの職人技は、何世紀にもわたる規律と精度に根ざしながら、進化し続けています。井波の木彫職人は自らの技術に誇りを持っています。「木であれば、何でも彫れます。」100人以上の木彫職人が並んで暮らし、働く唯一の町として、井波は伝統的工芸の永続的な強さと適応性の生きた証です。
ギャラリー
欄間 - 伝統的な井波欄間





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